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2021年01月20日 [ニュース]
老後の8大課題 〜終活の履き違えが晩節を穢す〜
いまや終活なる言葉を知らない人はいませんが、その意味を間違えている人があまりにも多い気がします。終活を表層的にとらえて、あるいは、終活セミナーを主催する専門家もどきにいいようにされて安堵しているおバカな人たちのために、真にあるべき終活について具体的にお話していきます。いや、個人的に終活なる言葉が好きではないので、あえて「老い支度」と言わせていただきます。
まずは、無料だからといってそそくさと巷の終活セミナーに出かけいくような人たちが犯す過ちについてです。
身の回りのことがどうにか自分でできていたとしても、さすがに老い先への漠然とした不安くらいは抱えていますから、一般大衆レベルの知性や教養しか持ちあわせてない人たちは、大手銀行の看板や弁護士バッチの前に、あえなく撃沈してしまいがちです。で、遺言信託やら任意後見制度やら家族信託契約やら、もっとおバカな人は、銀行だけがノーリスクで儲かるようにできている投資信託なんぞまで署名捺印してしまうのです。
ちょっと前までは、終活セミナーというと葬儀屋や墓石屋が主催するものがほとんどで、せいぜい葬儀の生前予約をしたり、墓地を購入したりする程度で済んでいました。ところが最近は、高学歴な銀行マンやら弁護士やらが終活ビジネスにご熱心です。一流大学を出たばかりで真実をよく知らない若手社員に、あたかも儲かるかのような話をさせて金融商品を売りまくる。成年後見制度はクーリングオフができないとか、任意後見人が家族であっても最終的には家庭裁判所が勝手に選出した輩に全財産をコントロールされることになるとか、利用する側のデメリットや自分たちに不利益となるようなことを伏せてセールスし、おバカな人たちからおカネをせしめている…。そんな光景をよく目にします。ちょっとタチが悪いと思います。
こういうエンディングを断片的・部分的にカバーするにすぎない商品やサービスを購入したり契約したりしたところで、全然、終活になっていません。本当の意味での老い支度とは言えません。親世代が実践すべき本来の老い支度というのは、自分に何かがあったとしても、愛する子どもたちに不便や不利益や負担や迷惑をかけずに済むように、想定課題ごとに対策を講じておくことをいうのです。
家族内にイレギュラーなこと(子どもたちがやたらと不仲だとか、非嫡出子がいるとか、愛人がいるとか、特定な子どもにはびた一文おカネを遺したくないとか…)でもない限り、多額の報酬や手数料を払ってまで、金融機関やら法律事務所やら家庭裁判所やら公証役場やらと関わる必要はないのです。老い支度を法律やら制度やら契約に依存する必要はないのです。
普通のケースは、親子間でケリがつくものです。親子の絆を拠り所として、親が目の黒いうちから、顔を突き合わせて、きちんと自分の言葉で想いを伝えればいいのです。直接会話することもなく、死んでから遺言が出てきたりするから子どもたちがモメるのです。老いてなおおカネに執着しすぎるから、本来は子どもたちに渡るはずだったおカネを知らない人に持っていかれるのです。
おカネの話ばかりではありません。医療や介護のことも抜け落ちています。親が意思決定や意思表示ができなくなった時、子どもたちが医者やケアマネと折衝することになります。認知症ゆえの身体拘束とか、人工透析や胃ろうといった延命治療とか、時に重大な決断を求められます。親がしっかりと老い支度をして子どもたちと共有していなかったとしたら、何かと忙しい子どもたちが、緊張と動揺の中でむずかしい専門的な判断をしなければならなくなる。親が死んだ後も、それが正しかったのかどうか苦悩して、トラウマになってしまう人たちがたくさんいるのです。わかりますか? 老い支度というのは断片的なものではありません。点ではなく線であり、面で考えてそなえておくべきものなのです。
さて、あるべきソナエについてです。ひとことで言えば、老い支度とはエンダン(エンディングまでの段取り)です。そして段取りとは、老後のよくある課題ごとに、対応の基本方針を決めておくことに他なりません。老後の課題というのは、おカネ持ちでもそうでなくても、ほとんど同じです。

https://youtu.be/x-JPqoqbOt4(段取りしておくべき老後の8大課題)
具体的には、「要介護」・「認知症」・「施設さがし」・「がん等の手術」・「延命治療」・「財産分与」・「葬儀」・「死後事務」の8つです。これらについて、個々に「自分は(現時点で)どうしたいのか」・「誰に何を頼みたいのか」・「財源をいつどう手渡すのか」を具体的に決めることです。
つぎに、子どもたちとの共有の仕方ですが、きちんとエイジングウィル(百寿グループが提供する老後設計書。ヒアリングに基づき老い支度のプロが作成する)として明文化して、それに基づいて、面と向かって自らの言葉で伝えることが必須です。口頭で伝えるだけではダメ。遺言みたいに書くだけで保管しておくのもダメ。意味がありません。結果的に、必ずモメます。子どもたちを厄介な目に遭わせることになります。感情的にも「親のエンディングを支えよう」という気持ちになってもらうためにも、直接伝えるプロセスが絶対に必要です。なお、考えが変わる場合もあるので、最低でも年に一度は、親子で向き合う機会を持つべく、親の側が頭を下げて頼むようにすべきです。子どもたちも忙しいですからね。
人間50歳にもなれば、明日の朝、今日と同じように元気に目覚める保証はありません。大切なことなので繰り返します。そう。まさかは突然やってきます。そして、だれにも確実にその時が訪れます。だからこそ、そなえておくべきなのです。
気をつけたいのは、おカネのことまではっきりさせておかないと、想いを叶えてもらえる保証はないということです。面倒な作業だけ強いられて、それにかかる費用と報酬の財源の根拠がなかったとしたら、子どもが置かれている状況によっては何ら対応してもらえない場合が想定されるからです。でも、「何かあったら、これを使ってくれ」と事前に手渡されていたとすれば、子ども側にも親の希望に沿って動こうという覚悟が芽生えるものなのです。
本当に意味のある老い支度とは、ある日突然ボケたり死んだりしたとしても、子どもたちが不便や不利益を被らずに済むよう段取りしておくことです。遺言を書くとか、墓を買うとか、葬儀を予約するとか、そんな断片的なことではないということをしっかりと刻んでおいてください。
ということで次回は、老い支度はいつまでに済ませておくべきなのかについて、具体的にお話ししていきます。
まずは、無料だからといってそそくさと巷の終活セミナーに出かけいくような人たちが犯す過ちについてです。
身の回りのことがどうにか自分でできていたとしても、さすがに老い先への漠然とした不安くらいは抱えていますから、一般大衆レベルの知性や教養しか持ちあわせてない人たちは、大手銀行の看板や弁護士バッチの前に、あえなく撃沈してしまいがちです。で、遺言信託やら任意後見制度やら家族信託契約やら、もっとおバカな人は、銀行だけがノーリスクで儲かるようにできている投資信託なんぞまで署名捺印してしまうのです。
ちょっと前までは、終活セミナーというと葬儀屋や墓石屋が主催するものがほとんどで、せいぜい葬儀の生前予約をしたり、墓地を購入したりする程度で済んでいました。ところが最近は、高学歴な銀行マンやら弁護士やらが終活ビジネスにご熱心です。一流大学を出たばかりで真実をよく知らない若手社員に、あたかも儲かるかのような話をさせて金融商品を売りまくる。成年後見制度はクーリングオフができないとか、任意後見人が家族であっても最終的には家庭裁判所が勝手に選出した輩に全財産をコントロールされることになるとか、利用する側のデメリットや自分たちに不利益となるようなことを伏せてセールスし、おバカな人たちからおカネをせしめている…。そんな光景をよく目にします。ちょっとタチが悪いと思います。
こういうエンディングを断片的・部分的にカバーするにすぎない商品やサービスを購入したり契約したりしたところで、全然、終活になっていません。本当の意味での老い支度とは言えません。親世代が実践すべき本来の老い支度というのは、自分に何かがあったとしても、愛する子どもたちに不便や不利益や負担や迷惑をかけずに済むように、想定課題ごとに対策を講じておくことをいうのです。
家族内にイレギュラーなこと(子どもたちがやたらと不仲だとか、非嫡出子がいるとか、愛人がいるとか、特定な子どもにはびた一文おカネを遺したくないとか…)でもない限り、多額の報酬や手数料を払ってまで、金融機関やら法律事務所やら家庭裁判所やら公証役場やらと関わる必要はないのです。老い支度を法律やら制度やら契約に依存する必要はないのです。
普通のケースは、親子間でケリがつくものです。親子の絆を拠り所として、親が目の黒いうちから、顔を突き合わせて、きちんと自分の言葉で想いを伝えればいいのです。直接会話することもなく、死んでから遺言が出てきたりするから子どもたちがモメるのです。老いてなおおカネに執着しすぎるから、本来は子どもたちに渡るはずだったおカネを知らない人に持っていかれるのです。
おカネの話ばかりではありません。医療や介護のことも抜け落ちています。親が意思決定や意思表示ができなくなった時、子どもたちが医者やケアマネと折衝することになります。認知症ゆえの身体拘束とか、人工透析や胃ろうといった延命治療とか、時に重大な決断を求められます。親がしっかりと老い支度をして子どもたちと共有していなかったとしたら、何かと忙しい子どもたちが、緊張と動揺の中でむずかしい専門的な判断をしなければならなくなる。親が死んだ後も、それが正しかったのかどうか苦悩して、トラウマになってしまう人たちがたくさんいるのです。わかりますか? 老い支度というのは断片的なものではありません。点ではなく線であり、面で考えてそなえておくべきものなのです。
さて、あるべきソナエについてです。ひとことで言えば、老い支度とはエンダン(エンディングまでの段取り)です。そして段取りとは、老後のよくある課題ごとに、対応の基本方針を決めておくことに他なりません。老後の課題というのは、おカネ持ちでもそうでなくても、ほとんど同じです。

https://youtu.be/x-JPqoqbOt4(段取りしておくべき老後の8大課題)
具体的には、「要介護」・「認知症」・「施設さがし」・「がん等の手術」・「延命治療」・「財産分与」・「葬儀」・「死後事務」の8つです。これらについて、個々に「自分は(現時点で)どうしたいのか」・「誰に何を頼みたいのか」・「財源をいつどう手渡すのか」を具体的に決めることです。
つぎに、子どもたちとの共有の仕方ですが、きちんとエイジングウィル(百寿グループが提供する老後設計書。ヒアリングに基づき老い支度のプロが作成する)として明文化して、それに基づいて、面と向かって自らの言葉で伝えることが必須です。口頭で伝えるだけではダメ。遺言みたいに書くだけで保管しておくのもダメ。意味がありません。結果的に、必ずモメます。子どもたちを厄介な目に遭わせることになります。感情的にも「親のエンディングを支えよう」という気持ちになってもらうためにも、直接伝えるプロセスが絶対に必要です。なお、考えが変わる場合もあるので、最低でも年に一度は、親子で向き合う機会を持つべく、親の側が頭を下げて頼むようにすべきです。子どもたちも忙しいですからね。
人間50歳にもなれば、明日の朝、今日と同じように元気に目覚める保証はありません。大切なことなので繰り返します。そう。まさかは突然やってきます。そして、だれにも確実にその時が訪れます。だからこそ、そなえておくべきなのです。
気をつけたいのは、おカネのことまではっきりさせておかないと、想いを叶えてもらえる保証はないということです。面倒な作業だけ強いられて、それにかかる費用と報酬の財源の根拠がなかったとしたら、子どもが置かれている状況によっては何ら対応してもらえない場合が想定されるからです。でも、「何かあったら、これを使ってくれ」と事前に手渡されていたとすれば、子ども側にも親の希望に沿って動こうという覚悟が芽生えるものなのです。
本当に意味のある老い支度とは、ある日突然ボケたり死んだりしたとしても、子どもたちが不便や不利益を被らずに済むよう段取りしておくことです。遺言を書くとか、墓を買うとか、葬儀を予約するとか、そんな断片的なことではないということをしっかりと刻んでおいてください。
ということで次回は、老い支度はいつまでに済ませておくべきなのかについて、具体的にお話ししていきます。