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2020年01月23日 [ニュース]
非常ベルが鳴っている 〜30代女性のケース〜
今回は、一昨年の秋、午前零時近くの新横浜駅で遭遇した珍しいケースを紹介してしようと思います…。以下は、その後関わることになる30代女性の話に基づいて構成してみました…。
父の様子がおかしくなって半年近く。母はもう何十年も前に若い男と逃げた。いまは、この1Kのボロアパートに、父とあたしのふたりだけ。父の収入は国民年金だけで、月額6万円にも満たない。家賃と水道ガス光熱費で4万5千円を持っていかれたら、その日その日を生きてくだけでいっぱいいっぱいだ。
父は痛風を患いながらも、わずかな可処分所得で安酒を買い漁り、万年床で昼日中から管を巻くようになる。あたしもコンビニやガソリンスタンドでバイトしてはいるけれど、毎月の手取りは10万円にも満たない。少しでも家計の足しにと手を出した消費者金融のキャッシング。限度額の20万円に到達するのも目前だ。
そもそも、あたしはろくでもない両親のもとに生まれて、ろくな躾も教育も受けず、また、ろくな教師にも出会わなかったからバカ丸出しの常識なしだ。それでもヤバイことくらいはわかった。父が崩れていくスピードは加速の一途。あたしが娘である記憶さえも危うくなってきて、酔いに任せて抱き寄せようとする始末。父の異変に恐怖を覚えたあたしは、自分の身をまもるために、地獄の日々から抜け出すために、生まれてはじめてマジで仕事を探しはじめた。
高校中退後、まともな定職に就くこともなかったあたしだけれど、なんと、あっさりと、介護施設に難なく採用してもらうことができたのは驚きだった。会社のおカネで介護職初任者研修まで受けさせもらって、今じゃ曲がりなりにも介護専門職だ。おかげで父の要介護認定の申請も自力でこなして、その結果、要介護3をゲットしたのだった。
でも、父は衰弱する一方で、ついには排泄介助が必要に。仕事を終えて帰宅して、玄関を開けた途端に鼻につく異臭は生き地獄である。せっかく採用された介護施設ではあったけれど、介護休業制度などは完備されておらず、結局は退職して父の面倒をみるしか手はなかった。
それでもスマホでネットサーフィンしながら情報をかき集め、意を決して生活保護の受給申請に臨んだときのことだ。生活保護課の職員は、あたしのカラダを上から下まで舐め回すように見たかと思うと、こう言ったんだ。
「あなたもねぇ、また若いんだし、それなりの見た目なんだからさぁ。お父さんのことを真剣に何とかしたいなら、生活保護を当てにするばっかじゃなくってさぁ、他にもいろいろとやりようはあるでしょお?」
あたしがなまじマトモなビジュアルだったからこその発言なんだろう。あたいがブスでデブでシャクレていたとしたら、意外と審査のボードに乗ってたのかもしれない。あたしは、こころの中で舌を打った。
チッ。夜の世界でオンナ売れってか。公務員がどの面さげてそんなたわけたこと言うかね。チクッてやっからな。
相手がぐだぐだと話し続けるのを横目に、あたしは席を立った。
ただ、残念ながら、現状を打開する手だてが思いつかなかった。2週間後、あたしはキャバ嬢デビューを果たす。デリヘルやソープという選択肢は、どうにも受け入れられなかった。不特定多数の見ず知らずの男どもに、カラダを触られるイメージをしただけで背筋が凍った。
こうなったら、あたしのルックスとベシャリ(話術)で上客をつかんで相応のおカネを稼いでやろうじゃんか!妙な感覚だけれども、そんなヤル気が内側から湧き立ってくるのを感じた。
それなりのメイクと髪型にドレス。変身したあたいには、それなりの客がついた。その店に30数名はいるキャバ嬢のなかで、5本の指に入るまで1週間とかからなかった。なんであれ、評価されるのはうれしいことだ。生まれて初めて、人から褒められて、評価されて、手にするおカネも増えていった。でも、好事魔多しとはよく言ったもので、客のひとりが終電で帰るあたしを待ち伏せするようになったのだ。
ある時、改札機を通ろうとすると、あたしは二の腕をムンギュとつかまれ、トイレへと繋がる通路のほうへ引きずり込まれた。
「このあと、俺につきあえよ」
店では開業医だと言っていたその男は、あたしを抱きしめると酒臭い口を押しつけようとしてくる。気がつくとあたしは、かなりの声をあげて助けを求めていた。
何秒くらいかな。すると、男性用トイレからふたり連れが出てきて、「どうしました?」と声をかけてくれたんだ。
開業医が「うっせぃな」と口走ると、ひとりのオジサンが、「彼女、嫌がってるでしょ!」と強い口調で言うや、若いほうに「おまえ、駅員呼んでこい」。
と、開業医はあたいを乱暴に突き飛ばすと、「けっ。ドブスが!いくら払ったと思ってんだよ!覚えとけ」
と言い放って、その場を去っていった。
「大丈夫ですか?」
あたしは服の乱れを整えながら、「なんか、ありがとうございました。助かりました」と頭を下げていた。
その時、地下鉄の最終が走り去る轟音が階下から聞こえてきた。しまったなぁ〜と、あたしの表情に出てたのかもしれない。オジサンは「最終、乗るはずでした?」と言いながら、あたしの顔を覗きこんだ。感じ良さげなオジサンだったからかな。自然と「はあ」と告げると、「どこまで帰るんですか?タクシー代、ありますか?」と、矢継ぎ早に訊いてくる。
あたいが返事に困ってると、
「これ、貸しますから。返してくれるなら、いつかここにお願いします」
と、一万円札と名刺を差し出すじゃない。こやつ何者...と思って見ると、社会福祉士とか書いてあって...。そっから先はかくかくしかじかで…。
とにもかくにも、この出来事があって、あたしは救われたわけ。でもね。見ず知らずの人からおカネを受け取ってそのままフケるなんてことは、あたしは絶対にイヤだ。だから翌日さっそくもらった名刺の事務所に電話をかけたんだ。オジサンはいなかったけれど、夕方には戻るって電話口の女性が教えてくれたんで、お礼も伝えたかったから直接おカネを返しに行くことにした。
数時間後、会議室みたいなところに通されて待ってると、オジサンが入ってきた。
「やあやあ。賭けに勝っちゃったなぁ〜。若いほうの彼は絶対に返しに来ないって断言してたんですよねぇ。でも僕は君が返しにくるほうに賭けてました。ハッハッハッ」
で、ちょっと話すうちに、あたしが訊いたんだ。
「社会福祉士って何やる人なんですかぁ?」
「ですよね〜。認知度低いんですよねぇ、この資格。大体はオムツ代えてるんですかぁ。大変でしょう…みたいに言われるんですよね」
あたいは、そう言えば、この前まで勤務してた介護施設にもこんな資格の職員がいたことを思い出した。
「簡単に言うと、何かで困ってる人を、何とかしてあげるプロなんですよね。一応、国家資格なんです…」
「そうなんですねぇ。だから夕べ、助けてくれたんですか?」
「イエス」
「正義の味方なんだぁ?」
「ザッツ・ライト」
「すごいですねぇ」
「そうでありたいとは思っています」
あたしのつぎの言葉をオジサンが待っているのがわかった。数秒後、あたしは切り出していた。
「あのお。困ってることがあります」
オジサンの顔全体に「???」という文字が浮かんでいる。
怪訝そうなオジサンにあたしは繰り返す。
「だからぁ…。だからですね、今とても困ってるんです、あたし…」
約1時間後。一気にこれまでの経緯を話し終えたあたしに、オジサンが言った。
「大変つらい話ですね…。僕のほうから3つ訊いてもいいですか?」
「ええ」
「夜の仕事は楽しいですか? これから先も続けていきたいですか?」
「楽しいわけないじゃないですか。やりたくないけど、父のことがあるから、生きていかなくちゃならないから、やってるんです。仕方ないんですよ」
「なるほど」
「でも、夕べあんなことがあったから怖くなってぇ。今日だって無断欠勤ですよ」
「じゃあ、次の質問です。お父さんをこのまま家に置いて、一緒に暮らしていきたいですか? 例えば、どこか施設に入れるというのは耐えられないでしょうか?」
「本音を言えば、どこか入ってもらって一人で暮らしたいですよ。でも…」
「でも?」
「要するに、うちはおカネがないんですよ。父だって病院や施設に入ったほうが、そりゃ環境もいいだろうし安心ですよ。でもそんなゆとり、ないんですよ。毎日毎日、生きていくだけでいっぱいいっぱいなんですよ!」
「ふむふむ」
「だから生活保護を受けようとしたら、こんどはオンナを売れみたいなこと言われて。胸くそ悪かったけど、冷静に考えたらそれっきゃないかなってんで、それで渋々キャバ嬢になっただけなんですから!」
「わかりました、わかりました。そう目くじらを立てないで」
「・・・」
「それじゃあ、さいごにマジで訊きますけど…。いいですか?」
「何ですかぁ」
「生活保護を受給するかどうかは別として、キミのおカネに手をつけずにお父さんが施設なりに入れたとしたら、夜の仕事は辞めて、また昼間の仕事を探してやり直してみますか? こんな話があったら乗る気、ありますかねぇ」
あたしは躊躇なく即答した。
「そりゃあ、あたしだってもうじき30半ばだし、そんなふうにできるものならそうしたいですよ。だけど、そんなうまい話、あるわけないじゃないですかぁ」
オジサンは、「それは何よりです」と言うと、にこっと微笑んだ。
これがオジサンとの最初のやりとりだった。
3週間後、父は郊外の特養(特別養護老人ホーム)に入ることが叶い、しかも、なんと毎月の自己負担は父の年金の範囲内で賄えることになったのだ。そしてあたしは、腐るほど求人のある介護業界の中から、オジサンが奨めてくれた介護事業者の面接をクリア。そこのケアプラザという拠点で地域のシニアの相談相手をしたり、啓発講座の企画や運営の仕事に携われるようにもなった。給料はまだ手取りで13万円だけど、やりがいはあるし、本気でがんばってみようと思っている。
考えてみると、両親に無計画に産み落とされて、いつしか母親はいなくなり、父親はろくに稼ぎも蓄えもなく、経済的にも精神的にも荒んだ日々の連続だった。学校でも教師にも相手にされず、地域のセイフティーネットの目にもかからなかった。それでも今、遅ればせながら、人生と前向きに向き合えるようになった自分がちょっぴり誇らしい。
いつだったか、オジサンが言ってくれたんだ。
「キミはさあ。家庭でも学校でもこの地域でも、めぐまれていたとは言えないかもしれません。でも、グレなかったですよね。借りたおカネも翌日にはきちんと返しに来た。ふつう、それっきりっていう人がほとんどなんですよね。で、僕の意見を素直に聞き入れて、夜の仕事も辞めてくれたし、昼の仕事もちゃんと受かって採用された。そして、僕が見る限り、今の仕事にマジメに取り組んでいるでしょ。偉いと思うんですよ。簡単に逃げてしまう人も多いなかで、キミは決して逃げないから。自分自身を投げ出していない。あの時、地下鉄の改札横のトイレに繋がる通路? 何の色気もない場所だけど、あそこで出会ったのも何かの巡り合わせなんじゃないかなぁと思うんです。これからも応援してますからね。あんま肩に力入れないで、キミらしくときめいてくださいね!」ってね。
なんて気障なオジサンなんだと思いながらも、あたしは目の前が大洪水になるのを回避することができなかった。
【著者コメント】
当事者は気づいていない場合もあるが、親側も悪気なく自覚もなく、子どもの人生に制約を強いてしまっている場合がよくある。このケースも典型的だ。親は親で、その時その時を懸命に生きているのかもしれない。しかし、親には子どもの未来にある程度の責任を持ってもらわないといけない。子どもが巣立った後も何十年と生きていくからには、長生きするだけの意味を考えるべきではないか。それもせずに、ただ食べて、寝て、起きての繰り返しでは、子どもの自立の妨げになるだけだ。大きな意味で言えば、単に子どもたちのパイを奪っているに過ぎない。歳を重ねていけば、いつなんどき病気や要介護状態で自由が利かなくなるかも知れない。そう認識して、子どもに過大な負担をかけずに済むよう計画と準備を怠らぬようにしてほしいものだ。それでこそ、クールな老後だと思う。そして、クールな老後を実践しようとするならば、それをサポートしてくれる終活のプロの存在が求められよう。
父の様子がおかしくなって半年近く。母はもう何十年も前に若い男と逃げた。いまは、この1Kのボロアパートに、父とあたしのふたりだけ。父の収入は国民年金だけで、月額6万円にも満たない。家賃と水道ガス光熱費で4万5千円を持っていかれたら、その日その日を生きてくだけでいっぱいいっぱいだ。
父は痛風を患いながらも、わずかな可処分所得で安酒を買い漁り、万年床で昼日中から管を巻くようになる。あたしもコンビニやガソリンスタンドでバイトしてはいるけれど、毎月の手取りは10万円にも満たない。少しでも家計の足しにと手を出した消費者金融のキャッシング。限度額の20万円に到達するのも目前だ。
そもそも、あたしはろくでもない両親のもとに生まれて、ろくな躾も教育も受けず、また、ろくな教師にも出会わなかったからバカ丸出しの常識なしだ。それでもヤバイことくらいはわかった。父が崩れていくスピードは加速の一途。あたしが娘である記憶さえも危うくなってきて、酔いに任せて抱き寄せようとする始末。父の異変に恐怖を覚えたあたしは、自分の身をまもるために、地獄の日々から抜け出すために、生まれてはじめてマジで仕事を探しはじめた。
高校中退後、まともな定職に就くこともなかったあたしだけれど、なんと、あっさりと、介護施設に難なく採用してもらうことができたのは驚きだった。会社のおカネで介護職初任者研修まで受けさせもらって、今じゃ曲がりなりにも介護専門職だ。おかげで父の要介護認定の申請も自力でこなして、その結果、要介護3をゲットしたのだった。
でも、父は衰弱する一方で、ついには排泄介助が必要に。仕事を終えて帰宅して、玄関を開けた途端に鼻につく異臭は生き地獄である。せっかく採用された介護施設ではあったけれど、介護休業制度などは完備されておらず、結局は退職して父の面倒をみるしか手はなかった。
それでもスマホでネットサーフィンしながら情報をかき集め、意を決して生活保護の受給申請に臨んだときのことだ。生活保護課の職員は、あたしのカラダを上から下まで舐め回すように見たかと思うと、こう言ったんだ。
「あなたもねぇ、また若いんだし、それなりの見た目なんだからさぁ。お父さんのことを真剣に何とかしたいなら、生活保護を当てにするばっかじゃなくってさぁ、他にもいろいろとやりようはあるでしょお?」
あたしがなまじマトモなビジュアルだったからこその発言なんだろう。あたいがブスでデブでシャクレていたとしたら、意外と審査のボードに乗ってたのかもしれない。あたしは、こころの中で舌を打った。
チッ。夜の世界でオンナ売れってか。公務員がどの面さげてそんなたわけたこと言うかね。チクッてやっからな。
相手がぐだぐだと話し続けるのを横目に、あたしは席を立った。
ただ、残念ながら、現状を打開する手だてが思いつかなかった。2週間後、あたしはキャバ嬢デビューを果たす。デリヘルやソープという選択肢は、どうにも受け入れられなかった。不特定多数の見ず知らずの男どもに、カラダを触られるイメージをしただけで背筋が凍った。
こうなったら、あたしのルックスとベシャリ(話術)で上客をつかんで相応のおカネを稼いでやろうじゃんか!妙な感覚だけれども、そんなヤル気が内側から湧き立ってくるのを感じた。
それなりのメイクと髪型にドレス。変身したあたいには、それなりの客がついた。その店に30数名はいるキャバ嬢のなかで、5本の指に入るまで1週間とかからなかった。なんであれ、評価されるのはうれしいことだ。生まれて初めて、人から褒められて、評価されて、手にするおカネも増えていった。でも、好事魔多しとはよく言ったもので、客のひとりが終電で帰るあたしを待ち伏せするようになったのだ。
ある時、改札機を通ろうとすると、あたしは二の腕をムンギュとつかまれ、トイレへと繋がる通路のほうへ引きずり込まれた。
「このあと、俺につきあえよ」
店では開業医だと言っていたその男は、あたしを抱きしめると酒臭い口を押しつけようとしてくる。気がつくとあたしは、かなりの声をあげて助けを求めていた。
何秒くらいかな。すると、男性用トイレからふたり連れが出てきて、「どうしました?」と声をかけてくれたんだ。
開業医が「うっせぃな」と口走ると、ひとりのオジサンが、「彼女、嫌がってるでしょ!」と強い口調で言うや、若いほうに「おまえ、駅員呼んでこい」。
と、開業医はあたいを乱暴に突き飛ばすと、「けっ。ドブスが!いくら払ったと思ってんだよ!覚えとけ」
と言い放って、その場を去っていった。
「大丈夫ですか?」
あたしは服の乱れを整えながら、「なんか、ありがとうございました。助かりました」と頭を下げていた。
その時、地下鉄の最終が走り去る轟音が階下から聞こえてきた。しまったなぁ〜と、あたしの表情に出てたのかもしれない。オジサンは「最終、乗るはずでした?」と言いながら、あたしの顔を覗きこんだ。感じ良さげなオジサンだったからかな。自然と「はあ」と告げると、「どこまで帰るんですか?タクシー代、ありますか?」と、矢継ぎ早に訊いてくる。
あたいが返事に困ってると、
「これ、貸しますから。返してくれるなら、いつかここにお願いします」
と、一万円札と名刺を差し出すじゃない。こやつ何者...と思って見ると、社会福祉士とか書いてあって...。そっから先はかくかくしかじかで…。
とにもかくにも、この出来事があって、あたしは救われたわけ。でもね。見ず知らずの人からおカネを受け取ってそのままフケるなんてことは、あたしは絶対にイヤだ。だから翌日さっそくもらった名刺の事務所に電話をかけたんだ。オジサンはいなかったけれど、夕方には戻るって電話口の女性が教えてくれたんで、お礼も伝えたかったから直接おカネを返しに行くことにした。
数時間後、会議室みたいなところに通されて待ってると、オジサンが入ってきた。
「やあやあ。賭けに勝っちゃったなぁ〜。若いほうの彼は絶対に返しに来ないって断言してたんですよねぇ。でも僕は君が返しにくるほうに賭けてました。ハッハッハッ」
で、ちょっと話すうちに、あたしが訊いたんだ。
「社会福祉士って何やる人なんですかぁ?」
「ですよね〜。認知度低いんですよねぇ、この資格。大体はオムツ代えてるんですかぁ。大変でしょう…みたいに言われるんですよね」
あたいは、そう言えば、この前まで勤務してた介護施設にもこんな資格の職員がいたことを思い出した。
「簡単に言うと、何かで困ってる人を、何とかしてあげるプロなんですよね。一応、国家資格なんです…」
「そうなんですねぇ。だから夕べ、助けてくれたんですか?」
「イエス」
「正義の味方なんだぁ?」
「ザッツ・ライト」
「すごいですねぇ」
「そうでありたいとは思っています」
あたしのつぎの言葉をオジサンが待っているのがわかった。数秒後、あたしは切り出していた。
「あのお。困ってることがあります」
オジサンの顔全体に「???」という文字が浮かんでいる。
怪訝そうなオジサンにあたしは繰り返す。
「だからぁ…。だからですね、今とても困ってるんです、あたし…」
約1時間後。一気にこれまでの経緯を話し終えたあたしに、オジサンが言った。
「大変つらい話ですね…。僕のほうから3つ訊いてもいいですか?」
「ええ」
「夜の仕事は楽しいですか? これから先も続けていきたいですか?」
「楽しいわけないじゃないですか。やりたくないけど、父のことがあるから、生きていかなくちゃならないから、やってるんです。仕方ないんですよ」
「なるほど」
「でも、夕べあんなことがあったから怖くなってぇ。今日だって無断欠勤ですよ」
「じゃあ、次の質問です。お父さんをこのまま家に置いて、一緒に暮らしていきたいですか? 例えば、どこか施設に入れるというのは耐えられないでしょうか?」
「本音を言えば、どこか入ってもらって一人で暮らしたいですよ。でも…」
「でも?」
「要するに、うちはおカネがないんですよ。父だって病院や施設に入ったほうが、そりゃ環境もいいだろうし安心ですよ。でもそんなゆとり、ないんですよ。毎日毎日、生きていくだけでいっぱいいっぱいなんですよ!」
「ふむふむ」
「だから生活保護を受けようとしたら、こんどはオンナを売れみたいなこと言われて。胸くそ悪かったけど、冷静に考えたらそれっきゃないかなってんで、それで渋々キャバ嬢になっただけなんですから!」
「わかりました、わかりました。そう目くじらを立てないで」
「・・・」
「それじゃあ、さいごにマジで訊きますけど…。いいですか?」
「何ですかぁ」
「生活保護を受給するかどうかは別として、キミのおカネに手をつけずにお父さんが施設なりに入れたとしたら、夜の仕事は辞めて、また昼間の仕事を探してやり直してみますか? こんな話があったら乗る気、ありますかねぇ」
あたしは躊躇なく即答した。
「そりゃあ、あたしだってもうじき30半ばだし、そんなふうにできるものならそうしたいですよ。だけど、そんなうまい話、あるわけないじゃないですかぁ」
オジサンは、「それは何よりです」と言うと、にこっと微笑んだ。
これがオジサンとの最初のやりとりだった。
3週間後、父は郊外の特養(特別養護老人ホーム)に入ることが叶い、しかも、なんと毎月の自己負担は父の年金の範囲内で賄えることになったのだ。そしてあたしは、腐るほど求人のある介護業界の中から、オジサンが奨めてくれた介護事業者の面接をクリア。そこのケアプラザという拠点で地域のシニアの相談相手をしたり、啓発講座の企画や運営の仕事に携われるようにもなった。給料はまだ手取りで13万円だけど、やりがいはあるし、本気でがんばってみようと思っている。
考えてみると、両親に無計画に産み落とされて、いつしか母親はいなくなり、父親はろくに稼ぎも蓄えもなく、経済的にも精神的にも荒んだ日々の連続だった。学校でも教師にも相手にされず、地域のセイフティーネットの目にもかからなかった。それでも今、遅ればせながら、人生と前向きに向き合えるようになった自分がちょっぴり誇らしい。
いつだったか、オジサンが言ってくれたんだ。
「キミはさあ。家庭でも学校でもこの地域でも、めぐまれていたとは言えないかもしれません。でも、グレなかったですよね。借りたおカネも翌日にはきちんと返しに来た。ふつう、それっきりっていう人がほとんどなんですよね。で、僕の意見を素直に聞き入れて、夜の仕事も辞めてくれたし、昼の仕事もちゃんと受かって採用された。そして、僕が見る限り、今の仕事にマジメに取り組んでいるでしょ。偉いと思うんですよ。簡単に逃げてしまう人も多いなかで、キミは決して逃げないから。自分自身を投げ出していない。あの時、地下鉄の改札横のトイレに繋がる通路? 何の色気もない場所だけど、あそこで出会ったのも何かの巡り合わせなんじゃないかなぁと思うんです。これからも応援してますからね。あんま肩に力入れないで、キミらしくときめいてくださいね!」ってね。
なんて気障なオジサンなんだと思いながらも、あたしは目の前が大洪水になるのを回避することができなかった。
【著者コメント】
当事者は気づいていない場合もあるが、親側も悪気なく自覚もなく、子どもの人生に制約を強いてしまっている場合がよくある。このケースも典型的だ。親は親で、その時その時を懸命に生きているのかもしれない。しかし、親には子どもの未来にある程度の責任を持ってもらわないといけない。子どもが巣立った後も何十年と生きていくからには、長生きするだけの意味を考えるべきではないか。それもせずに、ただ食べて、寝て、起きての繰り返しでは、子どもの自立の妨げになるだけだ。大きな意味で言えば、単に子どもたちのパイを奪っているに過ぎない。歳を重ねていけば、いつなんどき病気や要介護状態で自由が利かなくなるかも知れない。そう認識して、子どもに過大な負担をかけずに済むよう計画と準備を怠らぬようにしてほしいものだ。それでこそ、クールな老後だと思う。そして、クールな老後を実践しようとするならば、それをサポートしてくれる終活のプロの存在が求められよう。