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2020年01月19日 [ニュース]

忍び寄る孤独死の足音 〜50代男性(前回ケースの女性の夫)のケースより〜

無償の愛を注ぎ、立派に育ててくれた両親。感謝の気持ちは永遠です。時は流れ、糖尿病に悩まされながら、心筋梗塞で逝った父。父の死後、認知症が一気に加速した母。不憫には思いますが、いつまでも「親子の情」を断ち切れずにいると、自分の人生を見失うことになるということが、今の私にはよくわかります。

家で父を介護していた母が過労で倒れたのを機に、私は妻を連れて新潟の実家に戻り、両親との同居を始めました。私は長年勤めた会社を早期退職し、新潟の中小企業に再就職しました。両親のことは妻に任せっきりで、済まないことをしたと悔いています。まぁ、今となっては取り返しのつかないことですけどね。無念です…。

父が死んで、認知症ですっかり人格が変わってしまった母を妻に押しつけ、施設に入れてほしいと懇願する妻に手を上げて。地元の親族や知人たちへの体面を気にしたということです。くだらないですよ、本当にね。その結果、妻に捨てられました。息子と娘は完全に妻の味方でした。今は母を施設に入れて、誰とも会話のない孤独な日々を送っています。

妻を追い出してしばらくは、見よう見まねで母の介護を自分でやってみたんですよ。でもね。3日と持ちませんでした。介護する私に、「お前、私のカネを盗んだな」とか「死んじまえ」とか、昔の母からは信じられないようなの罵詈雑言を浴びせられるわけです。たったの3日、家で一緒に過ごしただけで、母の認知症がいかにひどく、妻の苦労がどれほどのものであったのか、十分すぎるほどわかりました。徘徊癖がひどく、片時も目が離せないため、外出もできません。

眼の前にいる老婆は、かつての心やさしい母親ではないことがわかったんですよね。常軌を逸した恐怖の対象でしかなかった。これはもう一緒にはいられないと思いました。妻はこんな地獄のような日々に耐えていたのかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。後の祭りですけどね。でも、当時の私は、認知症の母と向き合うのが怖くて、どうしても妻と一緒に介護する気になれなかった。

妻から「私はお義母さんの世話をするために生きているんじゃありません。もう施設に入れてください。それがダメなら、離婚してください」と泣きながら訴えられました。でも、世間の目もあるし、かつて自分に愛情を注いで育ててくれた母を施設に入れるという決断がどうしてもできなかったのです。

妻が私に意見を言ってきたことなどなかったんです。つきあって結婚してから、ただの一度としてね。それがあそこまで必死にぶつかってきた…。死ぬ気でSOSを発してたんですよね。そんな妻にさえ、私は逆ギレして手を上げてしまった…。ホント、最低の男ですよ。当時の自分は、私たち夫婦が親の面倒を見るのは当然と思っていたし、つまらないプライドもあったので、「それなら離婚だ」と、思わず言い放っていました…。

本当のことを言えば、早期退職制度の話も私の見栄であって、本当は"肩叩き"にあって、親の介護を口実に故郷に帰る選択をしただけのことなんですよ。妻に何も知らせずに早期退職を決め、有無を言わせずに両親の介護を押しつけた…。ひどい亭主でした。弁解の余地はありません。

母親は今、85歳。施設に入り、クスリの力で奇異な言動は落ち着き、すっかり大人しくなりました。
というか、ずぅ〜っとうなだれるようにして漫然と過ごしています。

いま想うことですか?
そうですねぇ。妻から離婚を求められて、社会福祉士事務所でカウンセリングを受けていた時期がありましてね。あのとき、子どもたちが完全に妻の味方であって、私のことなど何とも思っていない。いや、私のことを母親の敵としか見ていないということを思い知らされたんですよね。

子どもたちからは、「離婚は母さんをずっと苦しめてきた父さんの自業自得ではないか」・「母さんだけに介護を押しつけて好き勝手やっている父さんの味方はできない」と言われました。あれはショックでした…。あわよくば、息子と娘に妻を説得してもらおうとまで期待していた自分の甘さを呪いましたよ。後頭部を鈍器で殴られたような気がしました。さすがにあの時は、挫折感のようなものを実感しましたね。

独り身になってからは、仕事にも身が入らなくなりました。会社の若い連中を連れて、古町(新潟市内の歓楽街)のキャバクラみたいなところにも頻繁に出入りしてました。でも、やがて会社の人間にも距離を置かれるようになってひとりで散財して、気づけば預金もすっかり底を突いてきた…。
 
いまは「孤独死」という三文字がしょっちゅう夢の中に出てきます。さいごに息子からきたメールに書いてあったんですよ。
「母さんと別れたら、考え方を改めないと、父さんには孤独死が待ってると思う。さいごの忠告だよ」ってね。この言葉が頭から離れません。なぜもっときちんと妻と向き合わなかったのか。今も酒が入ると、己の愚かさを呪うばかりです。

【著者コメント】
これは、前回(20200114)のエピソードの女性の夫だった男性のその後の話である。ここ数年、熟年離婚の相談を受ける機会が増えている。妻の側は、ほとんどの場合、すでに結論を出している。女々しくすがるのは夫のほうだ。表面上は怒りも露わに、怒鳴り、わめき散らすのだが、それは内面の脆さの表れに過ぎない。現役の第一線で活躍していた男性ほど、家庭を顧みない傾向が強い。中には、「これまで誰のおかげで人並み以上の生活ができてたと思ってるんだ!」とやってしまう夫がいる。こういう台詞を吐くような男性は、世の中の変化に適応できない象徴的な存在である。時代が変わっていることに無頓着すぎる。都市部を中心に、元・男性ビジネスエリートの孤独死が増えている…。


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