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2020年01月07日 [ニュース]

母の話 〜 介護離職問題

前回は父のことを書いたので、こんどは母のことを書いてみようと思う…。

7年半にも及ぶ療養生活を経て死んだ父。療養といってしまえばそれだけのことだけれど、近くにいる者にとってそれは、実に重く、哀しく、やるせない時間である。その前半を父とふたりきりで過ごした母。夜間せん妄と徘徊を伴う認知症を患っていた父だけに、母の心身に及ぼすダメージは計り知れないものがあったはずだ。現に2度、意識不明状態になって救急搬送されている。医者に言わせれば検査結果は異状なし。母が訴える激しい偏頭痛と世界が回るようなめまいと浮遊感と立ちくらみも、原因不明ということで入院もさせてもらえずじまい。

チェッ。原因なんてバカでもわかるだろ。ボケた父を相手にするストレスと過労に決まってら。要は、気が変になっただけのことなのだ。

ということで、その後もだましだまし父の介護を続けた母だったが、結局私は、親戚や近所に罵倒されながら、父母の共倒れを回避するために父を施設に移したのである。カネも労力も出さずに口だけ出す奴らに災いあれと、こころの中で叫びながらね。

結局、父のさいごは、結核の疑いによる入院で幕を閉じた。施設の他の入所者に感染するといけないからといい理由で病院に移らせられたことは結果オーライだった。検査の結果、結核でないことがわかったのだが、医者はずっと居ていいと言ってくれた。費用負担も少ないし、看護体制は充実しているから、こちらとしては大歓迎である。胃ろうをはじめとする一切の延命措置を拒む旨を伝えたおかげで、さいごは枯れるように穏やかに旅立っていった...。母は父から解放され、少しずつ自分の時間を取り戻していくかに思えたのだが、やはり、閉ざされた世界で認知症の父と積み重ねた時間は、確実に母の精神に爪痕を残していたのである。

長年の連れ添いを喪失し悲嘆に暮れる母を見守るため、私は毎週末を実家で過ごすことにした。それ以外でも、仕事に支障がないときは実家に帰るよう算段した。母も学生時代からの親友や隣近所の友人と出かけるようになったのだが、今にして思えば、父が施設に入った頃から異変は出ていたのだと思う。

母は無類の料理好きである。私が実家に泊まるときは、とうてい食べきれない量と種類の料理をこしらえてくれるのが常だった。しかし、ある時から、私はあんなに好きだった母の手料理に向き合うのが苦痛になっていった。

理由は...。髪の毛ごはん。母が盛ってくれる炊きたてのご飯を食べ進めていくと、中から母のものと思われる髪の毛が現れてくる。米を研いでいるときに髪の毛が一本まぎれこんだという次元の話ではない。それも頻繁にだ。はじめは母に文句を言っていたのだが、ほぼ毎回のように同じことが起こるため、母は母で感情的に言い返してくるようになる。

「チェッ。まただよ。ほら、髪の毛」

そう言って物的証拠を母に示すと、

「あなたのために一生懸命つくってあげてるのに。髪の毛くらい何よ!イヤならもう食べなくていいから。自分のうちに帰ってよ。もう来ないでちょうだい!」

となる。

もちろん髪の毛ごはんにも抵抗はあるが、それ以上、母と不毛な口論をするのが無性に苦痛だった。不毛という意味は、もう来るなと言われたからといって母を放ってはおけないのは自明の理だからだ。それが親子であり、親子の縁は死んでも切れないのだ。私は今でも、外で食べてても、白飯に髪の毛などの異物を目にするともうダメ。一気に食欲が萎え、その後しばらくは気分がめげる。

父が亡くなって最初の正月は、母の負担を減らそうと伊勢丹でおせち料理を予約した。私としては最高に奮発して、数万円もする最高級の5段重で母を労った。だから1月いっぱいくらいは、実家の食卓にはおせちのお重がメインに置かれているわけだ。まさか、このおせち料理が私のトラウマになろうとは思いもしなかった。

ある日、実家に立ち寄ると、母はテレビを観ながらおせち料理を摘まんでいた。まだ無くならないんだと思いながらスーツを脱いで着替えつつ、ふと母のほうを見た。すると、母はなんと手指で直に伊達巻やかまぼこをつかんでは口に運んでいるではないか。

私は目を疑った。母は昔から行儀作法にうるさくて、食べ物に素手で触れるとよく叱られたものだ。それがどうだ。私が手を洗い戻ってきても、依然として栗きんとんや海老をいじくり回し、その合間合間に汚れた指を舐めては再びおせち料理を触りまくる。

私は気持ち悪くなって母を咎めた。

「汚ないな。お箸でやりなさいよ」

母は意に介せず、不潔で不快な行為を反復しながら、

「ホント、美味しいわねぇ」と上機嫌である。

母とは思えない姿を呆然と見ていて、私は母の行為にある規則性を発見する。

それは…。つめてる。つめているのだ。

母は伊達巻をひときれ食べることによってできたお重の隙間を、他の伊達巻や、隣接するかまぼこやらお煮しめやらでつめているのだった。そうして寸分の隙もなく整理整頓してまだ隙間があると、下の段のお重からあらたなピースを用立ててくる。それが延々と続けられているのである。都度、料理を手にした指をベロベロと舐めながら。見てはいけないものを見てしまったようなばつの悪さを感じながら、私は黙っておしぼりを母の前にそっと置いた。今でもおせち料理を目にすると、母のあの光景が浮かんできてどうしようもない。

オレはいつしか母の手料理を避けるようになっていった。仕事中に携帯電話が鳴り、実家に泥棒に入られたと母から告げられたのは、それから数ヶ月のことだった。預金通帳も実印も権利書も根こそぎやられたから急いで帰ってきてと懇願する母の声を聴きながら、私はついに来るときが来たかと悟っていた。

数時間後、実家に着くと普段どおりの母がテレビを見ながらバームクーヘンをいじくっていた。泥棒のことなど、どこ吹く風だ。こうした電話が次第に増えていき、やがては1時間に数十回も母からの着信履歴が貯まるようになる。携帯電話のみならず、私の家の固定電話の留守電も毎日母からのメッセージで満杯になった。後でわかるのだが、母の姉と、すぐ下の叔父も同様の被害に遭っていた。

電話だけではすまなかった。私が実家に泊まるときは、半分の確率で同じ場面が繰り返された。夜中に気配を感じて目を開けると、母がうなだれてオレの寝顔を恨めしそうに見下ろしながら座っているのだ。ホラー映画さながらの恐怖である。

「どうしたの!」
「・・・」
「どうしたの、母さん!」
「ひろし・・・」
「えっ?」
「もうおしまいだよ」
「なに?」
「ぜぇ〜んぶ、やられちゃった」
「???」
「大事なバッグこと盗られちゃった。通帳も印鑑もぜぇんぶ」
「わかったよ。もう夜中だから、朝になったら警察に電話するよ」

やがて…。母の人格変容スイッチが入る。

「あんた、なに悠長なこと言ってんのよ!おカネも家もぜぇんぶやられちゃうんだよ!わかってんの!朝になったらなんて、なぁに落ち着き払ってんだよ、まったく。今すぐ電話してよ!早く!」

こうなると私もスイッチが入らざるを得ない。

「わかったって! 何がなくなったのよ! どこにしまっておいたの?」
「だから、全部よ!預金通帳に印鑑に家と土地の権利書も!ぜぇんぶ盗られちゃったんだよ!どうしよう。もうおしまいだよ〜っ!」
「どこにしまってあったの!?」
「だから、あそこだよ、あそこ。居間のクローゼットの上の天袋でしょうよ。昔からあそこなんだから。わかってんでしょ、あんただって」

ちなみに、ボケるまでの母に「あんた」などと呼ばれたことは一度としてない。あまり健康ではなかった母はオレひとりを産むのがやっとだった。それだけに一人息子の私は猫っ可愛がりされ、甘やかされて育ったのだと思う。わが子でありながら、大学生の頃までチャン付けで呼ばれていたものだ。それが、今やあんたである。
そして、この真夜中の不毛なドラマの幕切れもまた、図ったようにいつも同じである。

「あんた、なんか変じゃない?妙に落ち着いてるじゃない?ぜぇんぶ盗られたっていうのにさあ。まさか、あんた...。まさか、あんたなの?あんたがやったんじゃないの〜!?」 
「んなわけないし」
「へぇ〜、そうなんだ。あんたの仕業なのね!うわ〜っ、恐いわねぇ〜。出してよ。ちょっと、どこやったのよ。出しなさいよ!」
「あのさ。もういい加減にしてくんないかな。あした仕事で早いの。もう寝かせてくれない?」
「ふざけんじゃないよ!まったくねぇ〜。恐いわね〜っ。明日、○○叔父ちゃん(母の弟)に電話するわ。ちゃんとあんたのこと、叱ってもらうから。いいわね!本当に恐いわね〜。あんたが泥棒するとはねぇ〜。あ〜っ、恐い恐い!」

翌朝、私はふだんどおりの母を見て思うのだ。

そろそろ限界だな...。

翌日からオレは、諸々の手続きを進めた。母に正常な時間帯が残っているうちに、母親名義の資産の引き継ぎを済ませてしまわないと後々面倒なことになるからだ。

同時に、もの忘れ外来の受診と認知症病棟への入院の段取りにかかる。その結果、3週間後には母を入院させることができた。しばらくすると、母の普通ではない言動は、クスリの力ですっかり鳴りを潜めていた。母の人格変容はなくなり、塞ぎこんだようにおとなしい老婆に変わっていった。

その後、病院からの紹介で老健(老人保健施設)に入所。以降、2019年11月に亡くなるまで
7年。認知症以外の症状は認められず、きわめてゆっくりと心身の機能不全が進行するも、穏やかなファイナルステージであった...。


恥ずかしながら、これは父が逝ってから半年後にボケてしまった母の話である…。

さて、父親が亡くなった後の、母と息子ふたりだけの家庭介護ワールド。介護に絡む悲惨な事件はこのパターンがもっとも多い。会社でバリバリ活躍している男性ほど、介護生活や地域社会への適応力が弱いように感じる。企業の介護離職対策は「どんどん休みなさい」モードに加速がかかっているが、親の介護問題で現場を離れさせようとする流れは不適切である。それほど医療と介護に係る手続きは複雑で時間と労力を要するもので、子どものほうが公私共に行き詰ってしまうのだ。だから、現場を離れないで済むような施策を講じない限り、抜本的な解決には至らない。そのためには、老親のエンディング対策について相談に乗るだけにとどまらず、必要に応じて、同行・代行・請負まで行ってくれる終活支援のプロの存在が不可欠だ。企業は、そんなプロフェッショナルを擁する団体と提携することで、貴重な戦力の現場離れを食い止めることができる上、社員の会社に対するロイヤルティも高まるので一石二鳥の介護離職対策施作となるはずだ。


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