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2019年09月09日 [ニュース]

果報は寝て待て?

窓の外があまりにも騒がしくて目が覚めました。横浜も暴風雨です。
みなさんお住まいの地域も大事に至らぬよう祈っています…。

いきなりですが、私の場合、目覚める前に大体なにかが舞い降りてきます。
今日は何を食べようとか、今日はこの曲を聴こうとか、今日は何を書こうとか…。
で、ついさっき、これを書こうと思って目が覚めたわけです。
それが、『果報は寝て待て』という格言についてです。

たしか中学の現代国語の教師が言ってました。

「果報は寝て待て。この言葉の本当の意味を知ってますか?」

当時の私は、「ラッキー・ハッピーは、巡り合わせでやってくるものだから、あくせく動いたって仕方ない。
むしろ、じっと待ってたほうがいい」なんて漠然と思っていたのですが…。
教師の話を聴いて恥ずかしくなったのを、今でも鮮明に覚えています。

まず、「果報」という言葉ですが、「果」はラッキー&ハッピー。「報」はアンラッキー&アンハッピー。
そして、「果報は寝て待て」全体の意味は、こういうことだそうです。

やるべきことをしっかりとやりなさい。もうやるべきことはないというくらいまで徹底的にやり倒しなさい。
そのレベルまでやったら、あとは慌てず焦らず、落ち着いて結果を待ちつつ、つぎにそなえておきなさい…。

つまり、結果はコントロールできない。
コントロールできないことをあれやこれや考えて悩んでいる暇があったら、すこしでも可能性のある打ち手があれば寸暇を惜しんで努力しなさい。
そして、もしも思いつく限りの手を打ったとしたならば、結果がどうなれ、うまく事が運んだ場合の次の準備と、失敗に終わったときの対策を講じておきなさい。

そういう教えだというのです。

そこで改めて「果報は寝て待て」と吟じてみると、これは相当に深くて重い言葉ですよね。
ただボ〜っと待っているだけというのは愚かなことだ…という意味に解釈できるわけです。
極論すれば、『待つな』ということです。

この事実を知ったせいかどうかはわかりませんが、私は学生時代から「待つ」ということが苦手でした。というか、嫌いでした。
車が通りもしない道で、横断歩道が赤だからといって待っていることさえも憎んでいた時期があったくらいです。

大人になってからも、仕事にせよ恋愛にせよ、「待つ」という選択肢を選んだことはなかったように思います。
いろいろな経験を積んでみて、気づけばいつしか、「待つことは悪」みたいな価値観として根づいていました。
そう。待っていても、ラッキー&ハッピーが起こらなかったからです。
もちろん、待っていればいつかは起こったかもしれませんから、早計には結論づけられませんが、要は待っている時間が惜しかったのです。
タイム・イズ・マネーですからね。

みなさんは何を待っているのでしょうか。

もう少し時間に余裕ができるまで待っている?
もう少しカネまわりがよくなるのを待っている?
だれかが一緒にやってくれるのを待っている?
もう少し様子を見てから考えようと待っている?
もう少し情報を集めてからにしようと待っている?
もう少し必要性を理解できるまで待っている?
東京オリンピックが終わるまで待っている?
ただ面倒だから先送りして待っている?
ただ何となく待っている?

いろいろな事情があるとは思いますが、ただ漫然と都合のいいことが起こるのを待っていても何も起こらない…。
本当は、そう気づいていたりしませんか?

もしもエンディングまでの段取りをやらなきゃなぁ…と、気にはなっているけど「何かを待っている」人がいたとしたら…。
どうか「待たない」でください。
待っていても状況や環境は変わりません。
あなたが動いてこそ、それらは変わり始めるのだと思います。
あなたを取り囲む状況や環境を変えるのは、他ならぬあなた自身です。

撒かぬ種は咲かぬ。
つかぬ鐘は鳴らぬ。
伝えぬ想いは伝わらぬ、です。

さて、嵐の真夜中に目覚めてしまった私は、朝を待つことをせずにこのまま、思いつく限りの、ラッキー&ハッピーをもたらしてくれる可能性がありそうなあの手この手を実行していきたいと思います…。




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