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2019年07月12日 [ニュース]
子の成長とともに親子間の心の距離は離れていく ⇒ 終活のはじめの一歩は親子関係の修復
親子の蜜月関係というのは、そんなに長くは続かないものです。子どもが小学校に入り、やがて思春期を迎えるころには、親子で共有する時間は減り、両者間の心の距離も確実に離れゆくものです。中学・高校と部活や塾通いが習慣化されると、あとはもう坂道を駆け降りるかのような速さです。大学生や新社会人になり物理的にも離れて生活するようになり、結婚でとどめが刺されます。
わが子が幼かったころ、父親も母親も無償の愛で慈しみ、暇さえあればわが子を抱き寄せ、ちょっとした仕草に幸せを実感した時間は、ある日突然消え去るのです。おまけに現代を生きる子ども世代は大変です。仕事に家庭に育児に教育に住宅ローン…。そこへもってきて、またまたある日突然、親の介護問題が湧きおこるのです。
そうなってしまう前に、親世代としては、離れてしまった子どもとの心理的距離を縮めておく努力が必要です。それを怠ったまま、エンディングに係る作業を子どもたちに依頼するとなると、最初のうちは「何のかんの言っても自分を育ててくれた親だから…」と動いてくれるかもしれませんが、それが頻繁になったり長期間に及んだりするに連れ、心のどこかに、やたらと自分を頼ってくる親に対する面倒臭さが生じてくるものです。
なので、エンディングまでに向き合うことになる老後のさまざまな問題に子ども世代のサポートを求めるのであれば、元気なうちから、子どもたちとの信頼関係修復に取り組むことが求められます。これは必須です。わが子が幼少のころのようにというのはむずかしいでしょうが、ある程度、こころの距離を縮めてからでないとエンディングに子どもたちの支援をもらうことは至難の業と知るべきです。子どもたちだって、それはそれは忙しい。でも親世代は、そんな超多忙な子どもたちのサポートなしでは円滑なエンディングは迎えられません。所詮、誰しもひとりで死んでゆくことはできないのですから。
ということで、終活・終活と呪文のように繰り返しながら、お墓を買ったり、葬儀を予約したり、遺言を書いたり…というのはちょっと手順を間違えていると言うしかない。そんなことよりも大切なのは、親子関係を見直して、離れてしまった心理的距離を縮めることです。まずは年に一回でいい。家族で顔を合わせる機会を作ることです。そして、タイミングを見て、親世代のこれから先のことを話題にすることです。どうしてもそれがむずかしいのであれば、親から子へ手紙を書くことです。
いずれにしても、子どもたちの胸の内に親のエンディングを支える覚悟を喚起するためには、とりあえずは「予告」がいるということです。予告もなしに、ある日を境にSOSが乱発されるようなことになると、それはもう老老地獄の一丁目に差しかかったようなものです。危険信号です。即刻、親子関係の修復に取りかかってください。
わが子が幼かったころ、父親も母親も無償の愛で慈しみ、暇さえあればわが子を抱き寄せ、ちょっとした仕草に幸せを実感した時間は、ある日突然消え去るのです。おまけに現代を生きる子ども世代は大変です。仕事に家庭に育児に教育に住宅ローン…。そこへもってきて、またまたある日突然、親の介護問題が湧きおこるのです。
そうなってしまう前に、親世代としては、離れてしまった子どもとの心理的距離を縮めておく努力が必要です。それを怠ったまま、エンディングに係る作業を子どもたちに依頼するとなると、最初のうちは「何のかんの言っても自分を育ててくれた親だから…」と動いてくれるかもしれませんが、それが頻繁になったり長期間に及んだりするに連れ、心のどこかに、やたらと自分を頼ってくる親に対する面倒臭さが生じてくるものです。
なので、エンディングまでに向き合うことになる老後のさまざまな問題に子ども世代のサポートを求めるのであれば、元気なうちから、子どもたちとの信頼関係修復に取り組むことが求められます。これは必須です。わが子が幼少のころのようにというのはむずかしいでしょうが、ある程度、こころの距離を縮めてからでないとエンディングに子どもたちの支援をもらうことは至難の業と知るべきです。子どもたちだって、それはそれは忙しい。でも親世代は、そんな超多忙な子どもたちのサポートなしでは円滑なエンディングは迎えられません。所詮、誰しもひとりで死んでゆくことはできないのですから。
ということで、終活・終活と呪文のように繰り返しながら、お墓を買ったり、葬儀を予約したり、遺言を書いたり…というのはちょっと手順を間違えていると言うしかない。そんなことよりも大切なのは、親子関係を見直して、離れてしまった心理的距離を縮めることです。まずは年に一回でいい。家族で顔を合わせる機会を作ることです。そして、タイミングを見て、親世代のこれから先のことを話題にすることです。どうしてもそれがむずかしいのであれば、親から子へ手紙を書くことです。
いずれにしても、子どもたちの胸の内に親のエンディングを支える覚悟を喚起するためには、とりあえずは「予告」がいるということです。予告もなしに、ある日を境にSOSが乱発されるようなことになると、それはもう老老地獄の一丁目に差しかかったようなものです。危険信号です。即刻、親子関係の修復に取りかかってください。